下川裕治「日本を降りる若者たち」


下川裕治「日本を降りる若者たち」


日本を降りる若者たち (講談社現代新書)

p14
なぜ、そこまで旅にこだわっていたのかといえば、「旅をしているから認められる」という一線があったような気がする。誰に見られているわけでもないのだが、どこか旅に出て見聞を広めるという、周囲へのいいわけのようなものにまだ縛られていたとも思うのだ。同じ世代の日本人は、汗水垂らして働いているのに、自分はただ気まぐれな旅をしている。その後ろめたさが旅をするという一点だけで許されるような気になっていたのではないだろうか。
しかしそんな旅が少しずつ変わってくる。「沈没」という言葉がでてくるのだ。

p29
ふくちゃんと話していると、ふとK君の顔や声を思い出した。よく似たタイプだった。社会に出れば、自分の思うようにいかないことはいくらでもある。若いときはそれをなかなか受け入れられないのかもしれないが、人と人がかかわって仕事をしていく以上、のみこまなければいけないこともある。あまりにうまく状況に溶け込むと、あいつは世渡りがうますぎると、また冷たい視線に晒されるのかもしれないが、そこで我を通しても、結局ははじかれてしまうのだ。

p44
大学で社会の仕組みを学び、ダイナミックにビジネス社会を渡り歩くことを夢に描いて入社する社員は、仕事というものの現実の矮小さの前で戸惑うものだ。新入社員に面白い仕事があてがわれるわけでもなく、経験を積ませるつもりで泥臭い営業の現場を踏ませるのも、日本の社会の常套手段だった。

p63
カオサンゲストハウスを埋める日本人のなかに、一つのグループがある。オーストラリアやニュージーランドでワーキングホリデーを体験し、その帰り道にバンコクに寄った若者たちだ。

p65
ワーキングホリデー組の年齢層はふたつにわかれる。ひとつは二十代の前半。なかには大学を一年休学してワーキングホリデーに参加する学生もいる。人数的にはこの年齢層が多いが、二十代前半組も少なからずいる。というのも、多くのワーキングホリデーの年齢制限が三十歳までと決められているからだ。大学を卒業して、一応就職する。しかし様々な理由で会社をやめてしまう。年齢は二十代半ばから後半にさしかかっている。次の勤め先となる前に、一度海外に出てみたい。女性は再就職、結婚といった道筋を考え、この時期しかないかもしれないと考える。そこで情報を集めていくと、ワーキングホリデーに傾いていくというわけだ。目を引くのは、三十歳までという年齢らしい。身につく英語は転職に役立つかもしれないという期待を抱いて。

p80
優秀な生徒ほど留学してかえってこないんです。現地で就職先が見つかってしまうんでしょうね。渡航前に英検とかTOEICといった試験の成績を見せてもらうことがあります。留学先のレベルを決める材料になりますから。その点数が低い人ほどちゃんと帰ってくる。やはり留学さきを決める前に、ある程度見えてきてしまうんです。現地で急に変わるってことは、あまりないんです。
ビジネスマンとして能力のある人はどんな国でも頭角を現わすし、どこかにこだわってしまうタイプはアジアにいってもつまずくことが多い。環境の違いは、しばらく生活を輝かせてくれるが、二年、三年と年月が経ってくると留学リベンジ組のなかには日本時代と同じような迷路に入り込んでくる人も出てくる。
突き詰めていけば、日本で仕事がうまくいかない人は海外で転職しても結局つまずいてしまうということらしい

p105
日本人の男なら、働くと言うことは一家を支えるということにつながるという固定観念がある。男と女の役割分担が不文律のように横たわっている。若いうちはそこまでかんがえないのかもしれないが、やがては結婚し、家族を支えていくことは暗黙のうちに了解している。終身雇用とか年功序列といったものは、そういう男の社会的な存在をより安定させるシステムと見ることもできる。以前ほどでないにしろ、就職というものをそういう枠組みのなかで考える日本人は少なくない。男というものは、会社のストレスと課程の重圧というふたつを背負っていきていかなくてはならないものだと説かれたりもする。しかしタイの男や家庭にはそんな日本の常識が通用しないようだった。日本の会社で苦労し、将来への不安につぶされそうになっている日本の若者が、そんなタイに遭遇してしまう。


まず、海外に出てるだけで日本人は粋がるなというところは共感できる。
やはり、バックパッカースタイルの旅はしょせん娯楽で、多くは日本にいるときの責任という重荷からの逃避であったりする。
p105みたいに見聞を広めて海外との価値観の差を感じて視野を広くもてるようになるのがやっぱり価値のあることだと思う。